殊能将之の『ハサミ男』は、1999年に講談社ノベルスから刊行された長編ミステリーです。第13回メフィスト賞を受賞したデビュー作としても知られています。
物語に登場するのは、女子高生を狙い、殺害した被害者の首にハサミを突き立てる連続殺人犯「ハサミ男」です。
ハサミ男は次の標的として樽宮由紀子に目をつけ、彼女の行動を調べていました。ところが、計画を実行する前に、由紀子が自分と同じ手口で殺害されているのを発見します。
自分が殺していないのに、自分の犯行とそっくりな事件が起きたのです。
ハサミ男は模倣犯の正体を探り始めます。一方、警察も事件の捜査を進め、犯罪心理分析官の堀之内靖治らが関係者を調べていきます。
本作の謎は、ハサミ男の正体と、第三の被害者を殺害した模倣犯が誰なのかという二つの問題に分かれています。
真犯人は誰?『ハサミ男』の核心をネタバレ
本作では、二つの犯人を区別する必要があります。
- 連続殺人犯「ハサミ男」:安永知夏
- 第三の被害者・樽宮由紀子を殺害した模倣犯:犯罪心理分析官の堀之内靖治
この二つの正体が別々に隠されていることが、物語の大きな仕掛けです。
本物のハサミ男は安永知夏
読者が「ハサミ男」と聞いて想像しがちなのは、名前のとおり男性の殺人犯です。作中でも、警察は日高光一という男性に疑いの目を向けます。
しかし、実際のハサミ男は女性の安永知夏でした。
知夏は、連続殺人犯としての自分の正体を隠しながら、事件の第一発見者として振る舞います。読者も警察も、知夏と日高をめぐる描写に惑わされ、二人の立場を正しく把握できなくなってしまいます。
第三の事件を起こしたのは堀之内靖治
由紀子を殺害したのは、本物のハサミ男ではありません。警察の犯罪心理分析官である堀之内靖治が、ハサミ男の手口を模倣して犯行に及びました。
堀之内は由紀子と個人的な関係があり、彼女への感情が殺意へと変わったことが犯行の背景にあります。そして、自分の犯行を本物のハサミ男によるものに見せかけようとしました。
しかし、模倣犯が本物と同じ手口を使ったことで、事件はかえって複雑になります。
警察は連続殺人犯を追いながら、第三の事件の犯人も捜さなければならなくなったのです。
最大のトリックは「ハサミ男」が男性ではなかったこと
1.タイトルが読者の先入観を誘う
本作の代表的な叙述トリックは、ハサミ男という呼称が読者に男性を連想させることを利用しています。
読者は、語り手の行動や心理描写を追ううちに、自然と男性の殺人犯を想像します。
さらに、警察側の視点では日高光一という男性が目立つ存在として描かれます。そのため、読者は「ハサミ男」と日高を同一人物だと考えやすくなります。
しかし、これは読者が自分で作り上げた人物像です。名前から受ける印象と、実際に物語の中で確定している情報は同じではありません。
2.二つの視点が誤解を生む
物語は、ハサミ男の一人称によるパートと、警察側の捜査を描くパートが交互に進みます。
読者は二つのパートを読み比べながら事件を推理しますが、ここに落とし穴があります。
一人称で語られる「わたし」と、警察側で注目される日高光一を、同じ人物だと思い込んでしまうのです。
実際には、両者を同一人物と決めつける根拠はありません。
視点の切り替えを利用して別々の人物を重ね合わせることが、性別の誤認と組み合わさり、大きなミスリードを生み出しています。
3.模倣犯の存在が推理を二重に難しくする
仮に読者がハサミ男の正体に気づいたとしても、それだけでは事件の全体像は解けません。
由紀子を殺害したのは、知夏ではなく堀之内です。
つまり、読者は「本物のハサミ男は誰なのか」と「第三の事件を起こしたのは誰なのか」という二つの謎を解く必要があります。
本物の犯人と模倣犯が存在するため、片方の正体を見抜いただけでは、もう片方の謎が残ります。
重要な伏線と回収されたポイント
伏線1:「ハサミ男」という呼び名
最も大きな伏線は、犯人につけられた呼称そのものです。
「男」という言葉が、読者に犯人の性別を無意識に想像させます。しかし、通称は犯人の身体的な特徴を正確に保証するものではありません。
この思い込みを疑えるかどうかが、知夏の正体に近づく鍵です。
伏線2:日高光一への疑い
日高は警察から疑いを向けられ、読者にとっても怪しい人物として描かれます。
そのため、ハサミ男の正体を考えるとき、日高の存在が有力な手がかりであるように見えます。
しかし、日高が疑われていることと、彼が本物のハサミ男であることは別問題です。
読者が警察の捜査情報をそのまま受け入れると、知夏という人物の役割を見落としやすくなります。
伏線3:第三の被害者の殺害方法
由紀子の遺体には、ハサミ男の犯行を思わせる特徴が残されています。
これは本物の犯人を示す証拠のように見えますが、実際には模倣犯が意図的に再現したものです。
事件現場に残された特徴が本物の犯人を示しているとは限らない。模倣犯の存在を考慮することで、証拠の意味が変わってきます。
伏線4:堀之内の立場
堀之内は犯罪心理分析官として捜査に関わるため、読者も警察側の人物として受け止めがちです。
しかし、捜査に関わる立場だからといって、必ずしも事件と無関係とは限りません。
専門知識を持つ人物が捜査の内側にいることは、犯行を隠すうえで有利にも働きます。堀之内の立場そのものが、読者の警戒心を弱める要素になっています。
結末をネタバレ解説:事件のあとに残るもの
物語の終盤、知夏は日高に自分の正体を知られ、彼を殺害します。さらに、現場を目撃した堀之内とも対峙することになります。
堀之内は模倣犯として由紀子を殺害していましたが、事件の展開は彼の思惑どおりには進みません。
その後の混乱によって、警察が把握する事件の構図は、実際に起きた出来事とは異なる形にまとまっていきます。知夏はハサミ男の正体を隠したまま生き残り、事件は公式には解決したかのような形を取ります。
しかし、読者は真相を知っています。
事件が解決したように見えても、本物のハサミ男は捕まっていないのです。
この結末は、犯人を特定して事件を終わらせるという一般的な推理小説の期待を裏切ります。警察が把握した事件の説明と、読者が知った真相が一致しないまま物語が終わるため、強い不気味さが残ります。
『ハサミ男』のラストが意味するもの
本作のラストで印象的なのは、知夏が事件の真相を知る人物でありながら、社会的には被害者として扱われることです。
犯人の正体が明らかになったとしても、それだけで正義が実現するわけではありません。
知夏は自分の正体を隠し通し、周囲から疑われない立場にとどまります。読者は真相を知っているからこそ、事件が本当に解決したとは言えないことを理解しています。
さらに、終盤の描写は、知夏の内面にある不安定さを感じさせ、再び事件が起こる可能性を残しています。
すべての謎が解けたはずなのに、安心できる結末にはならない。この余韻こそが、本作のサスペンスを強めています。
よくある質問
『ハサミ男』の真犯人は誰ですか?
連続殺人犯「ハサミ男」の正体は安永知夏です。一方、第三の被害者である樽宮由紀子を殺害した模倣犯は、犯罪心理分析官の堀之内靖治です。
日高光一はハサミ男なのですか?
いいえ。日高は読者や警察の疑いを集める人物ですが、本物のハサミ男ではありません。知夏と日高を同一人物だと思わせる仕掛けが、作品の叙述トリックの中心です。
なぜ犯人の正体がわかりにくいのですか?
「ハサミ男」という呼称が男性を連想させることに加え、一人称の語りと警察側の視点が交互に描かれるためです。読者は異なる人物を同一人物だと思い込み、知夏の正体を見落としやすくなります。
映画版と原作は同じ結末ですか?
映画版は2005年に公開された原作の映像化作品です。ただし、原作と映画では表現方法や人物描写などに違いがあるため、原作のトリックを詳しく理解したい場合は小説を読むのがおすすめです。
まとめ:『ハサミ男』は二重の謎が仕掛けられたミステリー
殊能将之の『ハサミ男』は、連続殺人犯の正体と模倣犯の正体という二つの謎を組み合わせた本格ミステリーです。
真相を整理すると、次のようになります。
・本物のハサミ男は安永知夏。
・第三の被害者を殺害した模倣犯は堀之内靖治。
・日高光一は、読者の思い込みを誘う重要なミスリードの役割を担っている。
作品の核心は、犯人の性別を誤認させる叙述トリックだけではありません。模倣犯の存在によって、読者が追うべき謎が二重になっている点にもあります。
名前や立場から人物像を決めつけず、描写された事実を一つずつ検証すること。それが、本作の仕掛けを理解するための大切なポイントです。
結末を知ってから読み返すと、何気ない語りや人物の配置が別の意味を持ち始めます。読者の思い込みを利用した構成を味わえる、印象的なミステリー作品です。



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